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Franco et O.K. Jazz (1956-89)

Mose Se 'Fan Fan' Sengo , guitar (1967-74)
Dele Pedro , saxes (1964-84)


Artist

MOSE SE 'FAN FAN'

Title

BELLE EPOQUE


fan fan_epoque
Japanese Title

国内未発売

Date 1970/1979/1982
Label RETROAFRIC RETRO 7CD(UK)
CD Release 1994
Rating ★★★★☆
Availability ◆◆◆


Review

 60年代なかば、ルンバ・コンゴレーズの人気は、本国とその周辺諸国のみならず、全アフリカ諸国に広がりをみせていた。とくに自国のポピュラー音楽が未成熟だったケニアやタンザニアのような東アフリカ諸国では大いに受けた。そこでルンバ・コンゴレーズを演奏できるミュージシャンへの需要が現地で高まり、多くのコンゴ出身のミュージシャンたちが出稼ぎのため、アフリカ各地へ散っていった。
 
 そんな「さすらいの旅芸人」の典型が、ときに「伝書鳩」と揶揄された自称「インターナショナル」(笑)サム・マングワナであろう。そして、ここにもうひとり、新天地を求め旅立っていったミュージシャンに元O.K.ジャズのギタリスト、モーズ・ス“ファンファン”Mose Se 'Fan Fan' Sengo がいる。

 ふたりのいちばんのちがいは、マングワナがルンバ・コンゴレーズを相対化してインターナショナルな方向へむかっていったのにたいし、ファンファンはルンバ・コンゴレーズに忠実でありつづけたということだ。マングワナはそれでも「伝書鳩」らしく、不定期に巣に舞い戻って来ていたが、ファンファンは75年に祖国をあとにして以来、ずっと旅に出たままだった。ショー・コスギに似て、外国の聴衆がかれに求めたのは、いかにもザイールらしい音楽だったのだと思う。マングワナの音楽はあくまでもマングワナの音楽だったが、ファンファンの音楽はその意味でザイールの音楽そのものだったのである。

 ファンファンがO.K.ジャズへ参加することになったのは、67年末、ヴェルキスがフランコの許しを得ないまま、シマロ、ユールー、ビチュウ、シェケンといったO.K.ジャズの同僚とおこなったレコーディングに参加したのがきっかけだった。このことがフランコの逆鱗にふれ、それがもとで2年後の69年にヴェルキスはO.K.ジャズを去ることになった。ファンファンは皮肉なことに、このクーデター未遂事件によってフランコの目にとまり、正式にメンバーとして迎え入れられた。

 O.K.ジャズでかれに与えられた役割は、セカンド・ソロ・ギタリストだった。ルンバ・コンゴレーズでは、リード・ギターとリズム・ギター、それらの中間に位置する“ミ・ソロ”と呼ばれるセカンド・ギターによって、あのつづれ織りのような独特のアンサンブルがつくられている。
 O.K.ジャズのリード・ギターはもちろんフランコで、レコードでは通常フランコ自身がソロをとっていたが、ステージではファンファンがボスの代わりを演ずることがあったともいう。しかし、ファンファンはフランコのたんなる影武者だったのではない。たとえばフランコがカポを使って高音域でソロをとれば、同時にファンファンが中低音域でソロをとるというようにツイン・リード・ギターの一翼を担っていた。

 かれが書いたO.K.ジャズ時代の代表作といわれるのが72年発売の'DJE MELASI'FRANCO ET L'OK JAZZ "1970/1971/1972"(AFRICAN/SONODISC CD 36514) 収録)。コーラス中心のスローな前半部と、ギター・ソロ中心の後半のセベン・パートとにきっちり分かれた第3世代流の構成を採用したのは、当時のO.K.ジャズには画期的なことだった。ここですばらしいギター・ソロを存分に披露しているのがおそらくファンファン。ギターの音色もフレイジングもびっくりするぐらいフランコそっくりで、かれのフランコへの心酔ぶりがうかがえる。
 
 この曲のヒットが自信となって同年、かれは5年間在籍したO.K.ジャズを脱退。ヴィッキー・ロンゴンバのオルケストル・ロヴィ Orchestre Lovy du Zaire に参加したのち、同時期に脱退したユールーとビチュウ、それにO.K.ジャズ在籍中のシマロらをさそって、自分のバンド、オルケストル・ソモソモ Orchestre Somo Somo を結成している。しかし、まもなく財政的理由からグループは破綻。
 翌75年、かれは東アフリカへ長い旅に出る。ザンビア、タンザニアを経由してケニアへいたる足かけ10年におよぶ長期のロードだった。

 ファンファンの名まえは、長いあいだ、コンゴ〜ザイールのミュージック・シーンから忘れられた存在だった。かれにふたたび脚光が当たったのは、94年に刊行されたグレーム・エウェンズのフランコ評伝'CONGO COLOSSUS'がきっかけだった。本書執筆にさいし、エウェンズはファンファンから多くの情報をもらっている。このことが縁となり、おそらくエウェンズの後押しで94年に英国のレーベル、レトロアフリークからリリースされたのが本盤である。ここにはO.K.ジャズ在籍時の初期録音から80年代前半のナイロビ録音まで、ファンファンの知られざる軌跡が集約されている。

 冒頭の2曲は、O.K.ジャズ在籍中の70年に同僚のサックス奏者デル・ペドロらとおこなった貴重なレコーディング・セッションから。ファンファンのザクザクしたギターとデル・ペドロのザラザラしたサックスが、フランコとヴェルキスのコンビをほうふつさせるすばらしいインタープレイを聴かせてくれる。ルンバ・コンゴレーズがもっとも輝いていた60年代後半の香りにむせ返る濃密な演奏内容だ。

 さて、ザンビアを経てタンザニアの首都ダル・エス・サラームにたどりついたファンファンは、そこでレミ・オンガラ Remi Ongala が所属していた現地のバンド、オーケストラ・マカシー Orchestra Makassy でプレイする。
 マカシーは、70年代後半から80年代前半にかけてタンザニアで活躍したリンガラ音楽系バンド。長らくお蔵入りになっていた82年のLP"AGWANA" が、2004年、2追加し"LEGENDS OF EAST AFRICA"(ARC MUSIC EUCD 1909)としてCD復刻された。ファンファンの参加はないが、本盤にも収録されていた'MOLEMA' を含む2曲がファンファンの作。

 また、オンガラは、90年代にピーター・ゲイブリエルのリアル・ワールド・レーベルからスークースをベースにしたアルバムをリリースして注目されたタンザニアのミュージシャン。といっても、オンガラももともとはコンゴの出身で、ファンファンより早く60年代なかば過ぎにタンザニアへ流れてきた。いってみれば、亜流。

 ところがどうして。79年にライヴ・レコーディングされた本盤収録の4曲を聴くかぎり、本場にけっしてひけをとらぬオーセンティックなルンバ・コンゴレーズだ。というより、ファンファンのギターといい、コーラスワークといい、曲の展開といい、TPOKジャズそのものじゃないか。ものまねとはいえ、ものまねでは済まされないぐらいクオリティの高い名演である。

 それから4年を経た83年に、ケニアの首都ナイロビでレコーディングされた再編ソモソモの3曲もこれらに負けてはいない。おもしろいのは、マカシーとのセッションでは70年代のTPOKジャズ風サウンドだったが、こちらは全体にテンポアップして、しっかり80年代のTPOKジャズ風になっている。といっても、よく聴くとベースやドラムスがいやに軽快だし、なによりもかれのテーマ・ソングを再演した'SUKI PEMBE SOMO SOMO' のファンキーな軽さは本家にはぜったいにありえない独自のサウンドである。

 これら9曲のほかに、もう1曲、英国人プロデューサーの手で83年にレコーディングされた'JOLIE AFRICA' というアフリカ讃歌が収録されている。アフリカ全般の音楽についてのステレオタイプなイメージをそのままモダンなビートにのせて英語で歌っただけの安直で楽観的なこの曲は聴いているほうが恥ずかしくなってしまうお粗末なシロモノ。この曲はオマケと思っておいたほうがよい。

 以上、ざっと中味をみてきたが、じつは本盤発売の翌年、英国のレーベル、スターンズから新録盤 "SOMO SOMO NGOBILA"(STERN'S AFRICA STCD 1065)がリリースされている。
 なによりも共演者の顔ぶれがすごい。ゲスト・ヴォーカルに、元O.K.ジャズからユールー、サム・マングワナ、ウタ・マイの3人に、70年代はじめにソウルっぽいサウンドで人気を博したトリオ・マジェシの“マックス・シナトラ”ことサアク・サクール Saak Sakoul。ギター、マングワナと組んでいたシラン・ムベンザ Syran Mbenza とボポール・マンシャミナ Bopol Mansiamina と豪華メンバーが顔を揃える。そして、ウタ・マイ、シラン、ボポールらとカトゥル・エトワルを組んでいたシンガーのニボマも参加。
 顔ぶれから想像つくようにパリ・リンガラ風のライトな音づくり。それでも、ファンファンのギター・プレイは確かにフランコ風でたいへん心地よい。

 このあと、"CONGO ACOUSTIC"(TRIPLE EARTH TRECD-119)というアコースティック主体のアルバムを発表(筆者は未所有)。そして、2004年末に約5年ぶりのリーダー作"BAYEKELEYE"(LAA RECORDS LAA001)が発売された。往時の優雅なルンバ・コンゴレーズを現代風に復興したケケレのブームのおかげか、このアルバムは日本でもライスから配給されてちょっとした話題になった。わたしも2005年ワースト・アルバムに選出させてもらった。それぐらい「よくこなれている」。

 ファンファンがO.K.ジャズにいたのはわずか5年間にすぎなかったが、この10年におよぶかれの漂泊の軌跡を音で聴くにつけ、シマロやジョスキー、マディル・システムなんかより、ずっと深くフランコに傾倒していただろうと思えてくる。ダジャレではないが、ファンファンこそ、歴代のメンバーのなかで、もっともピュアなフランコ・ファンだったのではなかろうか。


(5.3.04)
(5.17.06 加筆)



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by Tatsushi Tsukahara